近隣の人々に大円寺の五重塔とも呼ばれ親しまれているこの塔は、元は真言宗大円寺所属のもので、明治5年(1872)神仏分離の際、大円寺は大鰐町蔵館へ移り、その跡を最勝院が譲り受けました。
五重塔は津軽統一の過程で戦死した人々の供養塔といわれており、高さは31.2メートルあり、五重塔の少ない東北地方としては、極めて大切な遺構です。
【写真】最勝院五重塔:
五重塔は大円寺6世 京海が計画、三代藩主信義公の帰依を受けて着工しましたが、信義に続いて京海も他界。万治3年(1660年)三重まで造った段階で工事が中止され、四代藩主信政公の寛文5年(1665年)に工事が再開。同7年(1667年)に完成したと伝えられています。
(市のHPより↑)
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