2013年8月19日月曜日

旧相馬邸二階からの眺め

二階から眺める庭園
旧イギリス領事館の庭
以下HPより
函館の基坂、幕末の開港当時はこの周辺に役所や銀行などが集まっていたことから「役所の坂」とも呼ばれ、
函館の中心といえる場所であった。坂の名は坂下に里程元標があったことが由来とされる。
坂の上の元町公園の旧函館区公会堂、北海道庁函館支庁舎、少し下って旧イギリス領事館などが並び立つ中で、
民間人の住宅としては一際目立つ豪壮な邸宅が元町公園のすぐ隣に建つ旧相馬邸。
黒の板塀に重厚な和風の外観が印象的な建物は、
明治40(1907)年の大火後に相馬哲平(1833~1921)の邸宅として建てられた。哲平は幕末に新潟から函館へ渡り、
商売に成功、函館一の豪商として知られ、数々の公共建築に多額の寄付を行うなど篤志家としても有名。
哲平の寄付で建設された旧公会堂が坂上に、坂下の電車通りの角、相馬邸からも一望できる場所には
(株)相馬の事務所があり、基坂はさながら相馬の坂ともいえそう。
なお相馬邸が竣工した時期には、当時相馬と並ぶ豪商、渡辺熊四郎(金森商船・合名会社)などの
寄付により建てられた区立函館病院、さらに日本銀行や税関など国の主要施設も一望できた。
驚くべきことは相馬邸の真下に旧イギリス領事館が建っていることだ。
国内では横浜・下関・長崎に旧イギリス領事館の建物が現存しているが、
地元の民間人住宅に見下ろされた場所に建っているのは、ここ函館だけ。
七つの海を制覇していた大英帝国の函館駐在領事が相馬邸を見上げてどう思ったのか興味深いものがある。
函館の港の風景

二階から眺めると向かって左側に見える緑色の建物です。
以下HPより
函館基坂の下に大正初期に竣工した木造洋館。モスグリーンに塗られた外観は美しく、
貫禄十分。外観の意匠はルネサンス様式とされるが、
屋根に付けられているぺディメント(破風)や屋根の造りは和風に近く、
明治期から大正初期にかけての日本の洋館の特徴をよく示している。


当時、この建物の主は、函館の豪商・初代相馬哲平。
幕末、郷里新潟から開港直後の箱館(函館)にやって来た哲平は海産業などで財を成し、
当時函館随一の地主でもあった。

明治40年の大火で函館市内の大半が焼失、 函館の商人の多くがコンクリートや煉瓦などの不燃素材で建物を作り始めた時期に 哲平は頑固に木造建築にこだわった。 大正12年に八幡坂下付近より基坂下にかけて火災発生、 当時函館一の豪華ホテルと謳われた万世ホテル、 ㈱相馬の向かいにあった辰野金吾設計の本銀行函館支店などが焼失したが、 この建物は火災の被害なく生き残った強運な建物なのである

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