突然思い立ってシーボルト記念館に行ってきました。
長崎といえば医学の盛んな都市です。
それがドイツ医学者シーボルト来日による貢献が影響していることは、皆様もよくご存知のことと思います。さて、そのようなシーボルト探索の散歩に行ってきました。
県立鳴滝高校横を通り過ぎたところに記念館を示す看板が見つけられます。間の細い小道を入っていくと大きなレンガ色の洋館が見えてきました。中に入るとすぐに、シーボルトの生涯について書かれたパンフレットや、ビデオが見られるようになって、放送は受付の方にリクエストするとすぐに流していただけました。大まかな生涯が展望できるので先にご覧になりますことをお勧めいたします。
シーボルトさんは昔から日本に来るのが夢であったそうです。しかしその夢を、医学、自然史、動物学、民俗学を学び、医師になられて軍医としてキャリアを積み、オランダ商館医としていらっしゃるとは凄い方だと感服いたしました。
日本では、医療活動のほかに、医学や植物学における後進の育成、講義活動をされる傍ら、日本の地理、動植物、産業、風俗習慣などを調査されていました。(鳴滝塾は大変有名ですね。)5年間の日本滞在期間を終えて、帰国する際、暴風雨により出港が遅れ、荷物の調査が入り、禁制品を幕府に没収されて、シーボルトは日本に1年間拘禁されることになりました。
禁制品とは徳川家の葵の門の入った着物や地図などだそうで、シーボルトには、スパイ容疑がかけられたことになります。先日見たテレビによるとシーボルトは葛飾北斎の絵も買い込んでいたようで、そのような絵画購入の仲介に入っていたのが、高橋景保だそうです。当時シーボルトに関係があったと思われる人々は随分罰せられたそうですが、北斎は絵画にサインを入れなかった為、幕府には罰せられなかったそうです。
それまでの社会への貢献を考えると、この1年の出来事は本当につらいことであったと思います。人生とは思いもかけない試練を与えるものですね。
オランダへ戻り、持ち帰った資料をもとに更なる日本研究を進め次々と論文を発表していったシーボルト、外交面でも社会へ貢献していくこととなりました。オランダ・ウィルレム2世に日本開国を進言したり新書を作成したりペリー提督へ平和開国の進言を行ったりと変貌する日本を暖かく支えようとしてくださったことには、感謝したいですね。彼は、後に国外追放の禁をとかれて再び日本に来日し、自然科学の講義を行ったり、外交上の進言を幕府にするまでになりました。最後に長崎に立ち寄り、再び故郷へ帰るのでした。研究はその後も続けられ、晩年なくなるまで日本の研究を続けられたそうです。
本当にここまでの情熱はどこから生まれてくるのだろうと・・・・・・尊敬します。たゆまぬ努力と魂に感服ですね。
短い時間でしたが、大変よい刺激になりました。皆様も是非!シーボルト記念館へお立ち寄り下さいませ。
開館時間 : 午前9時~午後5時(ただし入館は午後4時30分まで)
休館日 :12月29日~1月3日及び臨時休館日
入館料 : 一般/100円 小中学生/50円(団体割引(15人以上)一般/80円 小中学生/30円)
駐車場 :普通車13台(大型バスは不可)
※県立鳴滝高校グランド横に駐車場があります。
■JR長崎駅から路面電車(3番系統・蛍茶屋行)10分(新中川町電停下車)
さらに徒歩7分■JR長崎駅からタクシー15分
詳しい記念館の情報はこちらからどうぞ
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